訃報

1999年のこと。

ある夜突然電話がかかってきて、ハイテンションな女性が「亀吉さんの掲示板を作っていいですか!」と言った。
当時私は雑誌に連載をもつライターで、記事にはたいてい住所や電話番号を公開していたので、いたずら電話には慣れていたのだが、この女性はどうやら熱狂的な亀吉ファンらしく、とにかく「掲示板を作りたい」と熱弁をふるった。
ぼちぼちインターネットが本格的に普及しはじめた時期で私もパソコンを買ったばかりだった。
「掲示板って何ですか」と訊いたのを今も覚えている。

女性は長澤彩さんといって五反田に住む若いママさんだった。
ハンドルは「ジル」「あやまま」。
「亀吉掲示板」と題されたBBSは2ちゃんねるへの果敢な直リンクなどが奏功してアクセスが増え、当時私が雑誌に書いていた乱暴な悪文への批判を中心に私信と罵詈雑言が交錯するカオス状態となった。ネット・リテラシーなどという言葉が一般化する以前のあのころ特有のスリルに満ちたサイトで、今でいう「炎上」がほぼ常態だった。
その魅力は別冊宝島460「インターネットの怪談」に詳しく載っていて、彩さんのインタビューも収録されている。
「亀吉掲示板」で知り合った友人は数えきれないほど多く、彩さんがいなければ、00年以降の私の人脈は随分貧相なものだっただろう。
彩さんは恩人だ。

毎晩チャットしている時期もあったし、たくさんライブを観に行ったし、自分が主催するイベントにも必ず来てくれる親友だった。
会社の後輩たちと彩さんのご家族で熱海へ一泊旅行したこともあった。

聡明で頭の回転が早く、エネルギッシュでよく喋り、日本人離れしたキュートな美貌で、いつもチャーミングな人だった。

2014年6月18日、彩さんが亡くなった。

四年以上に及ぶ闘病中にも何度か食事会をした。
そのたびに娘さんがどんどん面白く成長していて、可愛くて楽しくて、みんなで笑った。
老舗のイタリアンに飽きてきて、その次はわざと日曜昼の混雑する五反田のサイゼリヤへ大勢で行ったりした。不動前のホームの待合室で三人で電車を待っていたのも、つい先日のことのように思い出せる。
私が名古屋へ戻ることになったときには六本木ヒルズの梅蘭で美味しい焼きそばをごちそうしてくれた。
そのあと、アサヒラさんと三人で恵比寿の喫茶銀座で別れたのが最後になってしまった。2012年12月。

葬儀は教会で行われた。
牧師さんがなんか適当な水みたいなやつを棺にかけたりしてる間、私はイエス様のいうこととは関係なく「彩ちゃんありがとう」と心の中で何回も繰り返した。
棺の中の彩さんは出会った頃のように美しかった。
妹さんが最後のメイクをしたそうだ。

彩ちゃんみたいなポジティヴな人でも、死ぬんだ。
そう考えると、死ぬのが怖くなくなってきた。

大好きな人たちが亡くなっていくと、もうあの世とこの世の区別がどうでもよくなってくる。
彩ちゃんはあの世で新しいBBSを作っているかもしれないし、きっとそこには弓場宗治が熱心に投稿しているだろう。馬場育三さんも時々書き込むだろう。にゃん吉も長澤家の犬のジルもその世にいる。
私はこの世で、それらを「非表示」にしているだけだ。



バイバイ
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by kamekitix | 2014-06-23 23:56 | Diary
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