名盤カウントダウン_95_割礼『LIVE '88』

おれの就活についてなのですけれども、1989年の夏まで「なんらかの教員になる気がする(父親も教師だったし)」などとぼんやり想像する程度だったのだが、秋にふと思い立って説明会とやらに出向いた会社で首尾よく内定をもらい、翌90年春からサラリーマンになった。

高校まで真面目に生きてきた反動で遅まきながら大学生になってから不良を始めた私は、とても毎朝決められた時間に出社したり、会社の上司の指示に従順になったりできないだろうなーと思っていたのだが、簡単に慣れてしまった。

「すごく面白い会社のいちばん楽な部署に配属された」という幸運に因るところが大きかった。

5年間、大阪の本社で大いに遊び、いや修行し、95年5月に突然名古屋への転勤を命じられた。
名古屋でも大いに遊、いや働いたのだが、その話はまたいつか。

実は赴任するまで名古屋の地に足を踏み入れたことが一度もなかった。
「遊びに行きたい」と思っていたところに転勤のオファーがあったので嬉しかった。

名古屋のイメージは割礼とエコエコサイクルズと『中学生日記』。
それから、ガラス玉という名前のバンドのライブを大阪で観ていた。
「名古屋 ガラス玉 バンド」で検索したらJOJO広重さんのブログがヒット。
広重さんも同じライブを観ていたんだなー。

エコエコサイクルズはネオアコ系だったが、割礼やガラス玉はドロドロにサイケデリックで、名古屋の印象を偏ったものにさせていた。

この時期の割礼、大阪ツアーのときは必ず観てた。


ドラムスが止まってしまいそうなほど緩慢なリズム。
SWANSよりも遅いけど、ヘヴィネスを追求しているわけではない。
音像としては裸のラリーズに似ているのかもしれないが、スピリチュアルなアウフヘーベンなどとは無縁だ。

 電話の悪魔と
 バトンガールだったきみ
 夜に弱いきみだから
 遊びは終わったよね
 退屈だったんだよ
 歌なんかうたってさ

 (「電話の悪魔」)

ギター・ボーカルのフロントマン、宍戸幸司さんは長身痩躯の美青年で、歌詞にはだいたい女の子が出てくる。
「ごめんね女の子」というそのまんまのタイトルの名曲もある。

この時期の私は(今もだけど)、「女の子」が大好きだったので、宍戸さんのスタンスに激しく共鳴。
ゆっくりとしたビートの長い曲の終盤で繰り出されるヒリヒリ焼け付く真夏のオレンジ色の陽光みたいなギターソロに、彼が描き出す女の子の姿を重ね合わせて、猛烈に興奮した。

宍戸さんの声はキュートで、ギターの奏法はエロチックなほどに粘っこい。
「かくも長年にわたりロックにギターが使用されているのはその性的メタファーに起因するのではないか」と思わせるほど、宍戸さんの指使いはセクシーだ。

当時の割礼は、漫画でいうと丸尾末広の世界に近かったかもしれない。
丸尾末広というとどうしてもハードコアかつパンク、あるいはハードコア・パンク、な印象が強いけど、あの無邪気さゆえのグロテスクには、宍戸さんの乾いた歌詞の世界とすっかり剃り落された眉毛に通じる独特の美意識とユーモアを感じる。
いまふと思いついた。

花電車のファースト・アルバム・レコ発ライブ(1988年1月)の対バンが割礼で、エッグプラントで最前列で観た。
これが実に凄まじいサイケ対決だった。
あの夜のイベントは自分のロック体験の原風景になった。
ウォークマンで録音していて、何度聴いたかわからない。

ちょうどその時期の割礼のライブ・アルバムが『LIVE '88』。
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2000年頃に一度だけ宍戸さんにお会いしたことがある。
あれは何のイベントだったのだろう。確か、さねよしいさ子さんもいらっしゃった。
詳細は忘れたが、とにかく宍戸さんのグラスにビールを注がせてもらいながら、自分が如何ほどの割礼ファンかを伝え、宍戸さんは想像どおりシャイな反応をされていた記憶があります。

さて、わたしはかれこれ10年近く愛知県に籍を置いているのだが、いまだに名古屋のことをよくわかっていない。

今池にはいまどき東新宿でも見かけないようなパンクスがいるし、大須には割礼チルドレンのようなサイケデリックな人たちもいる。
鶴舞に行けば毎晩ストレンジなバンドがファンタスティックなライブをやっているし、矢場町のギャラリーではカレーを食べながらノイズを聴くイベントがあったりするらしい。
常滑や半田にもおかしなひとがいっぱいいるようだ(笑)。

父親は大阪市東住吉区の生まれ。母親が台東区浅草生まれ。
自分は間をとって愛知県に骨を埋めることにした。

これからもっともっと地元を開拓していきたいと思っています。



バイバイ
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by kamekitix | 2014-09-15 19:16 | Diary
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