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7月後半の休日は一人で熱田球場へ行くことにしている。
高校野球が好きなので愛知県の予選を見るのだ。
この日は大同大大同と名経大市邨の対戦。
どちらかの応援席に座るとOBか父兄だと思われて団扇やお茶をいただいてしまうので、どちらともつかないバックネット裏の上段に座る。
冷凍したアクエリアスとか塩分の入ったキャンディとかを妻がたくさん持たせてくれたので、いろいろ広げる。
双眼鏡で両校の応援席をチェック!!!
まだ一回戦だからなのか、野球部に人気がないのか、女子生徒の数が少なくてがっかりする。
試合は豪雨で途中90分ぐらい中断しつつ、たいした盛り上がりもなく、大同が勝った。
特になんということもないが、それでも高校野球観戦が好きなのだ。

子供のころ、父親と大阪球場へ大阪府予選を見に行ったことを思い出した。
父は府立吹田高校の教師だったので応援しに行ったのだ。
この年の吹田には原田要という強打の捕手がいてベスト8まで進出した。
大阪で公立の無名校が準々決勝まで進むのは快挙だ。
原田くんが客席にいる親父を見つけて帽子をとってお辞儀したのを覚えている。

ネット検索をしてみると、これは1979年のことで、おれは中一だったようだ。
残念ながら吹田は北陽に負けた。
その後、原田くんは大経大に進学して1983年にヤクルトに入団。
ドラフトで高野・池山・橋上が、原田くんと同じドラフト外で栗山が入団している当たり年だ。

親父は27年前に死んだ。
大阪球場も16年前に消えた。
高野は14年前に自殺した。
池山も橋上も栗山も引退した。
原田くんは今どうしているのだろう。
そう考えると1984年から現役の山本昌はほんとうにすごいなあ。

あと、ネット検索はほんとうにすごいなあ。
原田くんが見事なホームランを打ったように記憶していたのだが、北陽戦のスコアは0対2だと判明した。
これではもう原田くんが親父にお辞儀した記憶も正しいかどうか怪しい。
ちなみにこの年の大阪代表は牛島・香川を擁した浪商で、甲子園で優勝したのは伝説の延長18回を勝ち抜いた箕島だった。
っていうか、このサイトすげーな!!!▼
「高校野球データベース」


さて、名盤ばかりカウントダウンしているとブログの傾向が偏ってしまうので、日記っぽいことを書きます。


ここ数年、健康診断のたびに「胃炎がある」と言われていたので、胃カメラ初体験してみた。
家の近くの、全身麻酔で検査してくれるという内科。
のどを麻酔するゼリーみたいなのを五分間口に含んだあと、寝かせられて、点滴で眠った。
47才の現在まで骨折も入院もしたことなくて、実は全身麻酔も点滴さえも初めてだった。
90分後ぐらいに目が覚めて、院長に診断してもらったのだが、おれの十二指腸と胃袋は一点の曇りもなく実に美しいということがわかった。
これから先しばらくは多少胃が痛くても気のせいだ。
見せてもらったおれの胃の内壁の画像はまるで橋本環奈の処女膜のように瑞々しかった。

▼今年買ったCDでよく聴いているもの
유카리(Yukari) - Yule


Unknown Mortal Orchestra - Swim and Sleep (Like a Shark)



15年ぐらい前から「スナックの店名みたいな名前だな」と思う子供が増えたが、最近は台湾料理屋みたいになってる気がする。


毎月0のつく日は「交通事故死ゼロの日」らしくて、自転車に乗っているおれもよく職務質問される。
警官に「それじゃあ9のつく日は交通事故死9までOKですか」と言ったことはまだない。


母親の名義で大阪の古い団地の一室を所有しているのだが、老人ホームに入っている老母がそこに戻って再び暮らし始めることはもうない。
団地では大がかりな改装のプランが進行していて、それが、きっと10年後ぐらいに完工する。
完工するころ、おれはぼちぼち定年を控える年齢になっていて、おそらく母は他界しているだろう。
古い団地とはいえ立派な3LDKだ。
しかも千里丘陵の頂上に位置する風光明媚な物件の最上階。
新大阪や梅田へのアクセスもすこぶる良い。
改装されればさらに好物件として高値で賃貸できるのではないか。
家賃収入で老後も安心。
そんなプランを予想していますが、どうなることやら、おれの未来。


川本真琴さんのリマスター・アルバム。
楽曲も音質も素晴らしい歴史的名作の復刻。
書き下ろされた回顧録的なエッセーが赤裸々で驚いた。
川本さんにバイセクシャルな幻影を求めてきた女の子が読んだら夢が壊れてしまうかもね。


亀吉予定。
8月16日、大阪ベアーズ。
10月5日、大阪ロフトプラスワン・ウエスト。
10月23日、那覇Output。
6月ritaでのカンパニー松尾さんとのトークショーが楽しくて良い思い出になっておりますが、上記3つもぜんぶトーク・ゲスト的な出演です。


バイバイ
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by kamekitix | 2014-07-27 07:48
「生涯もっとも多く聴いたレコードは何か」と考えると、ドゥルッティ・コラムの『Another Setting』とかニュー・オーダー「Blue Monday」、坂本龍一『音楽図鑑』、カーネーション『天国と地獄』、キリンジ『3』とか......色々思い浮かぶのだが、おそらくトップ3に入るのが、このアンテナのミニ・アルバム。

のちにイザベル・アンテナとして人気を博すボーカルのイザベル・ポワガ嬢を擁した男1女2のトリオで、ベルギーのレーベル=クレプスキュールに所属していた。
1982年に「イパネマの娘」を大胆にアレンジしたシングル「The Boy From Ipanema」で衝撃デビュー。『Camino del sol』も同年リリースされた。
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まだ自室にラジカセしかなかったのでレコードを聴くにはわざわざリビングまで行って家族共用の「ステレオ」と総称されるオーディオ・セットを利用した。
家が狭いのでヘッドホン着用を義務づけられていた。
そんな16才の私(あ、「私の16才」で小泉今日子がデビューしたのも82年だな)が何故こんなベルギー産のお洒落なレコードを愛聴していたかというと、まず、ぜひ「新星堂 クレプスキュール」で検索してみてください。

おわかりいただけただろうか。
当時、新星堂さんはクレプスキュールと提携して直輸入で新譜を販売していたのだ。
自宅にいちばん近いレコード店が千里中央の大丸ピーコックの中の新星堂で、お澄ましで背伸び盛りの私は毎日のように学校帰りにクレプスキュールの棚を見に行った。
クレプスキュールと関係の深いイギリスのファクトリー・レコードの作品も同様に扱われていて、ドゥルッティ・コラムやニュー・オーダーのレコードもライナーノーツを兼ねた帯の付いた「新星堂盤」を買ったものだ。



後期ニューウェーヴ特有のチープな音色による簡素なアレンジと、不思議な奥行きを感じるエコー。
主にフランス語で歌われる気怠くてジャジーな、ボサノヴァ・テイストのエレポップ。
16才の私は、このジャケットからも想起される異国のリゾート感に淡い憧憬を抱き、狭い団地の一室で親父の古いヘッドホンを借りて、レコードの裏表を飽きず眺めながら悦に入っていた。

ヘタウマ最高峰=ヤング・マーブル・ジャイアンツから派生したウィークエンドが実力派のメンバーを揃えて本格的なファンカラティーナを聴かせたアルバム『la variete』(これもまた生涯最高レベルで愛聴している名盤)も82年だから、アンテナはちょっと遅れてきたヘタウマ・ユニットだったのかもしれない。


こちらは翌83年にリリースされたシングル「BE POP」。
これもほんとうに擦り切れるほど聴いたレコード。
これまでアンニュイなサウンドで南欧リゾート風味を前面に出していたアンテナが突然明朗快活どメジャー路線のディスコ・サウンドに転向。
幼心に「これがセル・アウトというものか......」と驚いた。
しかし、今「BE POP」を聴くと、これはマイケル・ジャクソン「スリラー」へのオマージュというかパロディだったのかもしれないなー。

同時期にリリースされたミカドのシングルの衝撃についてもいつか書くだろうし、ドゥルッティ・コラムについてもきっと何枚か書くので、クレプスキュールはこの「名盤カウントダウン」で今後何度も登場すると思います!

佐久間さん、ツイートありがとうございました。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。


バイバイ
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by kamekitix | 2014-07-21 18:13 | Review
「フールズ・メイト」に山崎春美さんが寄せた「うるさくてぜんぜんきこえない」というタイトルのレビューがこのバンドとの出会いだった。1984年。

敬愛する春美さんが久しぶりに雑誌で激賞しているハイ・ライズに興味を抱き、17才のおれはアメ村のキングコングでLPを買った。
300枚限定で裏面にシリアルが入っていて今では貴重盤かもしれない(今ヤフオク見たら29,800円だった)。
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モコモコに歪んだライブ録音で、英語らしきボーカルはもちろんスネアの音さえ判然としない。
主に聞こえるのは狂ったスピードで律動し高低するベースと、ほぼ全編打ち鳴らされているシンバル類。
演奏されているだろう細かいギターの技巧やドラムスの凝ったフィルインとかそんなんもういちいち記録せんでもわかるやろ、みたいな、まさに「うるさくてきこえない」アルバム。
粗雑で乱暴な音塊には味わったことのないイマジネーションと猛烈な疾走感、高揚感があり、その寡黙さと無骨なパッケージングも相俟って、このアルバムを特別なものにしている。

いまでも「よくわからないけど鮮烈なもの」を観ると「サイケデリック・スピード・フリークス」という言葉が思い浮かぶ。
一昨年の「オールザッツ漫才」で観た粗品という芸人さんのフリップ芸を「サイケデリック・スピード・フリークス」と評したっけ。

オフマスク00が主催した大阪でのライブも観に行った。
ハイ・ライズ、ボアダムズ、オフマスクというメンツで「虚無への供物」という秋井さんらしいイベント・タイトルがついていた。
このイベントが実はボアダムズのデビュー・ライブで、これ以降十数年にわたりおれは熱狂的なボアダムズ信者となるわけですが。

おれが持っているハイ・ライズの音源はもうひとつあって、これは武田さんという友人が送ってくれた、東京でのライブ・カセットだ。
久しく聞いてないけど、たしか大阪の実家に保管してあるはず。
「サイケデリック・スピード・フリークス」よりも鮮明に録音された武田さんのカセットのほうが好きで、北大阪急行の線路沿いを歩いて桃山台のうどん屋「太鼓亭」へバイトに行くときウォークマンで爆音で聴いていた。

自分はあまり「ロック」という言葉を使わないし「ハードロックが好きだ」と言ったこともないし「おれはパンクスだ」という自覚ももちろんない。
そもそもロックって何だろう。

ハイ・ライズを聴くと、自分のコアになっている風景が呼び覚まされて、嗜好の源泉を掘り起こされるような、瑞々しい気持ちになって、積年の疑問が少しクリアになる。

バイバイ
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by kamekitix | 2014-07-19 00:05 | Review
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世界でBIG STICKがどのように評価されているのか知る術もないし、知ろうともしないが、おれにとってBIG STICKは未来永劫揺るぎなき最強のビートニクでありヒップホップ・トライブだ。

まず最も狂っていた頃のボアダムズを遥かに凌駕する過剰装飾の衣装で顔は見えない。
John Gillはトナカイの角を常に付けている。
Yanna Tranceは文化祭の前夜に全身にガムテープを貼って教室中這い回ったギャルみたいなカラフル衣装。

トラックはカットアップしまくり覚醒しまくり、サンプリングの嵐。
もはやマッド・プロフェッサーとかエイドリアン・シャーウッドとか聴いてるやつの気が知れない。
BIG STICKの”DRAG RACING”を聴けばおまえらのビート感は3分で錆びつくよマジで。

そしてライムは「大統領を撃て」とか「クラック攻撃」とか明らかにヤバイです。
もう音だけでも完全にアウトなのに言ってること全部NGなんです。

SONIC YOUTH『Bad Moon Rising』から始まったレーベル=BLAST FIRST。
80年代末期にオルタナティブを牽引したBLAST FIRSTの快進撃の過程で産み落とされた、前代未聞、異形の最凶ユニット。

EMIからリリースされたシングル・バージョンはちょっとだけメジャー志向。


PRINCESS TINYMEATもBIG BLACKもBIG STICKも全部石原さんのくれたセレクト・カセットで初めて聴いたのだ。
そう思い返せばおれの音楽体験において非常に重要な役割を果たした石原さん。
前回も登場したこの先輩についてもう少し詳しく述べておきたい。

石原さんと知り合ったのは1986年だと思う。
当時流行していた「メール・アート」の展覧会だった。
いろんな芸術っぽい作品を郵送し合うサークルめいたものが世界中にあって、よく雑誌に紹介されていたのだが、大学生だった私はそこに居心地の良さを感じていた。
学校にはひとりも友人がいなかったので「メール・アート」で知り合った人たちがおれと世界を繋ぐ媒介で、その人たちとリアルに会う初めての機会が、その展覧会だったと思う。

もう場所も忘れてしまったが、きっと大阪の西区あたりのギャラリーだったのだろう。
ロック・マガジンの森山雅夫さんやメルツバウの秋田昌美さん、空中出版の武石和義さんなど展示物を見ていたときに「お茶をどうぞ」と茶碗を差し出してくれたのが、石原さんだった。
石原さんもメール・アートをしていて、シンセで宅録した楽曲はハナタラシの山塚さんが作ったコンピレーション・カセットに収録されていた。

石原さんとおれはその後も数年間は同じバンドにいて、ツアーもしたりしたんだけど、いつの間にか疎遠になってしまった。
きっとおれがなにか失礼なことをして、気分を悪くされたんだろうなあ。
昨日Facebookで石原さんらしき人をみかけて友達申請した。
承認されてないけど仕方ない。
記憶にないから余計始末が悪いけど、きっとおれのせいなので。

バイバイ
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by kamekitix | 2014-07-06 23:01 | Review
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